新天地の天塩(久木田重平編)‗1915‗寺本久左衛門

新天地の天塩の訳文

「寺本久左衛門君」  1858年(安政5)6月11日生まれ 父・久左衛門、母・つま
〈寺本久左衛門から送られた書面より〉
〇原籍は、福井県足羽郡上宇坂村大字境寺17号。代々農業に従事。(※1)
〇移住の目的は土地開墾のため。
〇1895年(明治28)4月、団体長として84戸の団体を組織し(団体移住)、石狩国空知郡幌向村字パンケ南11条西12番に貸下げを受け、5か年を過ごす。
〇1889年(明治32)、天塩郡天塩村字ウブシ原野西線南6号78番80、82、84及び、西二線84番に27戸分の貸付を受けた。
〇1900年(明治33)4月23日に家内中と若者3名を引き連れて移住した(※2)。
 *道路が無く、郵便配達も来ない。自ら草笹を刈り、木を倒して道を作った。
 *天塩市街から1斗5升(22.5kg) ほどの米噌を背負って運ぶ。往復4日かかる。
 *1、2年の間は米噌とじゃがいもなどで生活する。
 *連れてきた小作人も去り、当時は3戸しかなかった。
〇1908年(明治41)に天塩市街とウブシ間の道路ができて利便性が増し、やがて農民も入ってくるようになった。
〇1914年(大正3)、自分の土地附近に教育所(※3)ができ、青年会の組織もできた。
*幌延村に通じる道もできた。
*湿地はあるが産地は肥沃、他の原野より温暖。薪炭や良材も多い。水利の便もあるので、今後10年でこの辺は皆稲田となると思う。
〇自分が所有する土地は14戸分で、その半分以上は開墾した。
〇自分がいるところはウブシ原野西1番線南6号78番地である。

(※1)現在、境寺に寺本家が1軒あり。
(※2)明治31年12月23日に天塩村諸原野の32年貸付が告示された。天塩の諸原野は面積が広大で、画数も多く人気だった。ただし、良好な貸下地は政治家の関係者の予約で取られ、一般民には泥炭地しか残っていないという事態にもなっていた(32年12月29日付『小樽新聞』の「天塩原野貸付と予定存置」)。33年の原野貸付を当て込み、告示の日を待つ人々が多数いた。
   (『新編天塩町史』(1993年より)
(※3)学校の前身だった教育所は…父(寺本久左衛門)の倉庫を造作して仮校舎とし、授業を開始した。教師は合田与善で児童は12人だった。…大正8年の中ウブシ…(『北方科学調査報告:北方圏の自然と文化の研究2』(1981年)より)

〈編者、久木田重平談〉
〇ウブシといえば、寺本君と寺本農場。ウブシ原野の代名詞となっている。(※4)
〇寺本君は、真面目で落ち着いている。家事に勤勉で、自分が率先して一心に農事に努めている。道楽としては、南無阿弥陀仏に帰依し、朝夕念仏三昧。
〇律儀な篤農家として重んじられ、地方の公職を任命されている。(※5)
〇妻ちん子は大野郡羽生村、落盛秀吉氏の妹で、1870年(明治3)生まれ。夫を助け、家業に勤勉。多く、男女の子女を持ち、楽しい家庭を造る。
(※4)『北海道農場調査』(大正2)によると、寺本農場は、畑22町5反2畝、田4反、林地8町、計50町9反2畝。小作は6戸、所有者は寺本久左衛門、田中瀬蔵、唐崎兼松、沢口庄太郎、落盛與三松、山崎藤左衛門、寺本ステ、京盛佐助、宮腰新左衛門の9名。管理人は寺本久左衛門。ウブシの開拓はここから始まる。(『新編天塩町史』より)
   →なお、「落盛与三松」の名が福井市間戸(旧美山町)に1軒あり。
(※5)1916年(大正5)、寺本久左衛門が第26部中央ウブシの初代部長に、その後、1927年(昭和2)に寺本錦城(縁者?)が8代目部長に任命される(※『新編天塩町史』より)。

◆筑波大学『北方科学調査報告:北方圏の自然と文化の研究2』(1981年) p.168-170より抜粋
「ⅲ資料 (1)神社
神社資料としては、創建期の氏子名等を記す神体・大麻・棟札を中心にとりあげた。…

白山神社
神社の由緒書(寺本家所蔵)
一福井縣足羽郡上宇坂村境寺村々社氏神白山神社は、人皇十代崇神天皇の大御代に於て越前加賀能登の三国の一の宮に聖人国幣中社白山比咩神社祭神菊理媛命・伊壮諾命伊丹美命を奉斎し奉る。其後嵯峨天皇の大御代弘仁十四年に至り、加賀国立ノ砌り、今の加賀国石川郡河内村三宮ノ地域内となる此所に於て、往古我境寺ノ地を定め開拓者何某優秀の神の加護を得て素志を達せんと思ひ起し、古人の言により我等越人は常に越路の一の宮と崇め奉しは、白山神社の御霊験を尊敬し、御分霊を請ひ奉り、取敢す笏谷の情石(ママ)に御尊影を彫刻し奉り山麓の浄地に一宇を建立せられしなし(ママ)、依て我村氏神と崇拝し奉り、開村以来幾百年なるを知らす。当時当社々掌位坂正彦氏、今より三百年前より神事系承し来り、氏は吉田郡森田村位坂の家血(ママ)統なり。此所於て寺本久左衛門北海道に移住と同時に位坂正彦氏ヨリ分霊を受、明治三十三年四月二十三日我移住の記念日トし、氏神と尊崇し家運長久を祈る次第に候。
(棟札表)
御寶祚 五穀成就
奉再建白山大神広前天下泰平攸
無 窮 氏子安全
(同 裏) 
大正六年四月廿三日再建
明治四拾四年五月山火事為本殿消失ニ付再建ス
 産  子  寺本久左衛門  櫛引 豊作
        北川喜太郎   渡辺吉五郎
        沢口庄太郎   落盛與三松
        下条 政次    出倉良雄
        長利 大工    菅野與四郎
        菅野若連中    大村作太郎
        大村若連中    南部  音
        山口 理吉
明治参拾壱年寺本久左衛門本国ヨリ移住ノ時我氏神ヲ背負来リテ此所奉斎ス
 祭主社掌 合田 典膳
 大 工  舟山豊三郎  」
→現在、福井市境寺町15-22-26に白山神社(祭神:伊弉諾尊、天照皇大神、豊受姫大神)がある。宮司は位坂伸昌氏とのこと(なお位坂氏は福井市下森田、宇坂大谷町、灯明寺町など?複数の白山神社の宮司も務めている模様)。
https://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20170117_162253

◆その他(官報)
〇官報 第5766号(明治35年9月20日付)
*農商務省告示第170号
「森林法第16条に依り、左記の通、保安林に編入す。」
 (明治35年9月20日 農商務大臣 男爵平田東助)
▶越前国足羽郡上宇坂村大字境寺
字号・30、字・中志谷、地番・53、地目・山林、 面積・0309
所有者・寺本久左衛門
〇官報 第7652号(明治41年12月26日付)
*農商務省告示第351号
  「左記箇所の開墾を為さむとする者は、福井県知事の許可を受くべし。」
(明治41年12月26日 農商務大臣 男爵大浦兼武)
 福井県足羽郡上宇坂村大字品ヶ瀬
▶ 字号・30、字名・中志谷、地番・83、面積・512 
所有者・杉下茂右衛門、寺本久左衛門
   ▶ 字号・34、字名・境谷、地番・24の2、面積・2
     所有者・寺本久左衛門
〇官報 第372号(大正2年10月24日付)
*失踪宣告
   ▶ 北海道天塩郡天塩村字ウブシ原野西一線南78番地平民寺本久左衛門長男
      寺本義久 明治25年12月7日生
右の者に対し実父寺本久左衛門の申立に依り、本日失踪宣告を為したり。
増毛区裁判所(大正2年10月20日)
  
◆その他(以前寺本さんからメールでお聞きしたこと)
〇初代・久左衛門
〇2代・金次郎 ←山火事
〇3代・久司
〇4代・弘之(敏幸さんのお兄様)

→久左衛門が白山神社のご神体と石仏を背負って移住した。
→山火事で神社が全焼、石仏だけが残った。石仏の下部の黒ずみはその時のもので残すようにと言われてきた。

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